なんと気が付くともう今日で5月も終わりですが、もうすぐまた今年も6月18日「鹿児島市内の大空襲の日」がやってきます
このブログでも毎年書いていますが、ご縁をいただいて春成幸男様が代表をされる「広馬場通り戦災鎮魂慰霊の会」の慰霊祭の準備がまた今年も5月から始まり、直前の打合せで世田谷のご自宅におじゃまさせていただきました
毎年この道を歩くたびに、「あぁ、またこの季節になってきたんだなぁ」と一人感慨にふけってしまうのですが...
それよりも毎回ここにおじゃまさせていただき打合せの後、春成さんとお食事をいただきながらお話をさせていただくのが本当に時間を忘れてしまうほど楽しいし、勉強になるし、何時間でもここにいたいと感じてしまうのです
今回も94歳になられた春成さんのお話がまた興味深くて、日本を牽引された経済人のご経験の話が勉強になるのは当たり前ですが、もうお一人これもご縁があってここでお仕事をされている末吉さんの作って下さるこのお食事のおいしいこと!! これにも毎回超感動なのです
当然いっつも長居をしてしまうのですが、今回は春成さんの母校でもある「高等師範学校」つまり今の大河ドラマ「いだてん」の話や、偶然にも鹿児島一中(現在の鶴丸高校)時代に超秀才だった春成さんの教科書を図々しくももらいにいったという、春成さんの1歳後輩のうちのオジ(父の兄)の話やらで大盛り上がりをしてしまったのでした
春成さんに尋ねてみました「どうして東大にいかれなかったんですか?」と
すると東大に行くつもりで第七高等学校に行こうと思いその予行演習のつもりで「高等師範学校」を受けたら受かり、その当時一中で一番の親友だった鹿児島県(かつては揖宿郡でしたが、今は鹿児島市です)喜入町の大きなお寺の息子さん「亀井」さんに「高等師範学校に受かった」と伝えたら、亀井さんが「オレだったらその高等師範を卒業して日本国の為に優秀な人材を育てるべく教師になるぞ」と言われたことが決め手になったということなのでした...
やっぱり直接聞いてみると納得できるのです
結局この日も楽しすぎて、ついつい自分勝手に4時間くらいおじゃましてしまってから、おいとましたのですが...
ホテルへの帰りみち32歳年上の大好きな大先輩の一つひとつの宝のような言葉をもう一度噛み締めたり、春成さんが言葉にできないほどの絶望を経験したその青春時代はもとよりその後、大経営者として活躍されていた経済人としての苦労や努力のお話も、もう一度思い出して復習したりしながら、なんだかとてもいい気持ちでおよそ1時間の電車を楽しんでしまった僕ちゃんなのでした
さあ、明日からは6月、また今年も戦争で無念のうちにその命を絶たれた多くの御霊が安らかならんことを祈りつつ、この平和と一つひとつの命の尊さを再確認するべきあの日を迎える準備を進めるのです
- 2019.05.31 Friday
- 社会・政治
- 06:01
- comments(0)
- trackbacks(0)
- -
- -
- by なりブー