いよいよ平成が幕を閉じ、新しい元号の日本がスタートするわけですが、思い出してみると僕ちゃんも平成20年からほぼ11年間、このふざけたブログでも大好きな鹿児島のことをしつこく発信してきたなぁと改めて感じるのです
でもそれは単に鹿児島への思い入れだけの問題ではないということを「平成の最後の」(このフレーズいい加減、聞き飽きましたね!!)記事で、また読んでもらえんほど長々と書こうと思いました(😌しれっ!)
最近感じることなのですが、平成の後半くらいから「声の大きな」(存在感を発揮しているという意味です)強欲オッさんたちを横目で冷ややかに見ながら、実は冷静に普遍的な真の幸福感や誇りを持って地方のアドバンテージを謳歌して生きている方々もすんごくおられるよなあと気づくのです
「平成」はバブルの崩壊直後から幕を開け、湾岸戦争、ソ連の解体、東ドイツの統一、ウィンドウズ95のデビューから世界の情報は国境を越え世界のパラダイム(枠組み)は劇的に変化し、そしてミレニアムを迎えて、テロ、リーマンショック...そんな中で先進国中で日本は経済的には「失われた20年」と呼ばれ、GDPを拡大できないままそしてイノベーティヴにもなれないまま、相変わらずオッサン主役の現在を迎えてしまっている...
確かに大戦後、昭和の60年あまりそして平成の31年間、日本は戦争をすることもなく、アメリカの核の傘のもとに平和に過ごしてこれた訳ですが、この平和もそして今からたったの150年ほど前に始まった日本の資本主義経済も、これから先「令和」になっても同じように続けていけるという保証は全くないわけですが...
そしてそんな日本国内の東京一極集中、昔から僕ちゃんも「鹿児島は田舎でイヤだなぁ」とか「やっぱり東京は洗練されてていいよなぁ」とかよくこぼすものでしたが、鹿児島と東京を行き来したりしていてよーく考えてみるとこれからの時代、絶対的に地方に住むほうがアドバンテージが多いとつくづく感じるのです
まず、「食べ物と水」このブログでもいっつも書きますが、出張で滞在しているのと東京で暮らして家庭料理を食べるのとはすこし状況が違うとはいえ、例えば鹿児島の場合、まず葉ものも根菜類もお野菜の味が美味しい!! そして東京で食べる豚や牛そして鳥肉もやっぱり素材の純粋な味とは違う気がするのです、そして水は鹿児島の場合水源が沢山あるし、また火山のあるおかげでシラス台地の中で浄化されるお水も本当に柔らかで美味い!!
そもそも我が国が保存料・防腐剤天国になってしまった一因も「一極集中」といえるかも知れませんよね
そして「住」環境、今や「見晴らしのいい場所」「美味しい空気」は心身ともに人が暮らす為のまず一番大切な環境であるという価値感は今や普遍だと思うのです
つまり全国で空き家率が6番目という鹿児島県の見晴らしのいいスポットだったらネットの環境さえ整えば、さまざまな目的でのスペースは空気・水・食べ物といった「今どきの」インフラが上質ということで、知的コミュニティをそのまま引っ越してきてもらえる可能性もあるということですよね?!
実際スイスのヴヴェイ(レマン湖畔)に本社を置く世界最大の食品・飲料会社のネスレはその条件で本社のロケーションを決めたそうです
たまに自分でも食べれる収穫のある畑なども作れるような環境のいい場所で、しかもアクセスもそれほど悪くない子育てにも最高の環境の土地や建物の空き家などが選択できる...
そして職場も広々として、景色などを毎日楽しめる空間で過ごしている人ほど心の平静を保ち「幸福感」を味わいながら、いろいろなアンテナが冴えて、いい仕事ができる気がするのです
そんな基本的なことに気がついてきた、しかもとてもユニークで才能あふれる方々が「政治」や多くの人々の幸福感をお金の魅力ですくい上げるような雰囲気の「ビジネスモデル」に見切りをつけて自分なりの幸福感で地方で暮らし始めているということなのです
もちろん「東京」などの大都会は常にお金という一つの指標で言うと資本が集中する大都会として刺激のある日本経済の中心であり、でもこんな時代だからこそ、今一度それぞれの日本人がそれぞれの幸せのかたちをよーくイメージしてみると、この歳になった僕ちゃん的には人が多すぎる怖さとストレスとを、金銭的に豊かな暮らしと秤(はかり)にかけるととても窮屈で居心地の悪い都市にしか思えないのです
この「キェーーーイ!!」のポスター、僕ちゃん的には結構好きでした!! それにしても地元紙などの「知事に臨むこと」や「当選してやりたいこと」などを空欄で出すような候補者とか、いったい政治というものを何だと考えているのでしょうか?! 全くそのアホさ加減が信じられないです
鹿児島はつい先日、鹿児島県議選でしたが、まだまだお歳を召した多くのオッサン立候補者の方々のお話や公約などは全然時代の変わり目を感じないものが圧倒的に多く、相変わらずの「東京追従」と地方として自立経営ではなく「予算頂戴」お金のやり繰り根拠のない「やってあげます・作ります」のものばかりのような気がしてしまいます
ひょっとすると「若者達が選挙に行かない」のではなく今の政治質の低下や民主主義自体が機能していないことを一番気づいているのが若者達なのかもしれませんね?!
令和の新時代の日本でこれから一番大切なのはさまさまな幸せの尺度を持ち輝く人々がどんどん増えて一つひとつの華を咲かせられる社会を、官民あげて創っていくことだと思うのです、政治もそんな日本の行く末をちゃんと俯瞰できる「アホじゃない人」に掌(つかさど)ってもらわんとイカンということです
多くの様々な人々の英知を持って日本の新しい時代「令和」の中「ヤマト」を操縦せんといかんですね?!
鹿児島ももちろんですが、まずは日本国内の地方都市の一つひとつが負け惜しみではなく「東京みたいな都会を目指す」や「国から予算を分けていただく」という発想を完全に切り替えて、独自の幸福感で逆に「幸せになりたいのだったら都会からこっちに来てもいいよ」というスタンスに変わっていくことはとても人として正解なのではないのかと感じる「令和の超少子高齢化」の鹿児島に生きていく62歳なのです
- 2019.04.30 Tuesday
- 社会・政治
- 01:08
- comments(0)
- trackbacks(0)
- -
- -
- by なりブー