先般、夜寝つかれなくてYouTubeを見ていたらインターネットテレビ「アベマTV」での今年の春に放映された番組「スマホで朝生」でホリエモン(堀江貴文さん)がめっちゃくちゃ納得の面白い話している興味深い動画がありました
ところでこのブログを読んでくださっている皆さまはどんな世代の方かわかりませんが、今の40歳代から下の若者たちの多くはテレビを全く観ない、もちろん一般的なラジオにいたっては全く聞いたこともないという方々が増え続けているのです
つまり若者達の情報源は4大マスメディア(テレビ・新聞・雑誌・ラジオ)からどんどん離脱しており、情報源はほぼパソコンとスマホのアプリに移行し続けているという現象があるのです(うっそぉ〜そんな大げさでしょぅ!と思われる方はぜひ近くの若者たちに直接尋ねてみてくださいね!!)
だから既存のメディアからするとこうした「アベマTV」の企画のように既存のメディアとのミックス戦略で若いインテリゲンチャたちの巻き込みを図ってはじめて意見収集のバランスも少しだけでも取ろうとしているということなのです
それにしても、この番組中でホリエモンと現代日本のエジソン的に「魔法使い」と呼ばれている発明家で筑波大学助教の「落合陽一」さん、この2人はやっぱり、既成概念をいまだに全然破れない今の日本の中でつくづくすごい貴重な存在だと感じるのです
彼らがこの議論で主張しているのは「国会議決をA.I.に任せてその政策決定までの思考過程要約もあわせてガジェット(スマートフォンなどの端末)で国民に共有してもらうのが一番これからの激変の時代に沿っている」というなのです
我々が勝手に思っている「若者の政治に対する無関心」という実情は全く間違っており、若い人々を多く含む新しい時代への意識の高い人々は情報をとる方法やルートも全く変わってしまっていて、それによって世の中のあり方に対するイメージも民主主義に対するイメージも全く違ってきているということですよね
たまたま「あの」豊田真由子さんが出演していて絵面的にも面白いのですが...最初見ていると、僕ちゃんらオッサンにはまるでホリエモンが奇をてらった論戦をはっているように一瞬みえたりするのですが...
よーく聞いて考えてみるとホリエモンが言ってることの方が極めてまともだし論理的で、国会議員として比較的若手である自民党の豊田さんと民進党の小西洋之議員が相手の意見に絡まずにひたすら繰り返し言ってることは、まるで議員の自己防衛と自己満足だけのお決まり文句にしか聞こえなくなってくるのは絶対に僕ちゃんだけではないと確信してしまうのです
この番組内での一番面白かった部分なのですが、いわば世代間ギャップではなく「まったく噛み合わない保身議員と若きイノベーターたちのギャップ」(☚その番組の一部、結構面白いですよ!!)そしてもう一つ、既存の概念による切り口と立ち位置でそれを無理矢理交通整理しようとする田原総一朗さんのそのギャップが完全に浮き彫りになっていますよね
でもホリエモンたちが主張している「今の国会が儀礼的で時間がかかりすぎている」という問題の解決法として国会のA.I.(人工知能)化は実に正解だと感じるのです、そしてそのことで様々な社会問題を解決できるはずのイノベーション(革新)や新機軸の企画などにもルールが追いついておらずに、足手まといにすら感じられるのです
さらに今の日本における政治家というのは利権の代表者の代弁者として、フェアであるかどうかは別として業界などから「忖度(そんたく)」されたものをゴリ押しする制度としてあり続けないと困る「既得権益者」のために存在させているシステムである気がしてならないのです
本当は政治家は国や地域を大所高所から見て、時にはその信念に基づき命をかけてたとえ孤高の立場となっても社会に対して大ナタを振るう「胆力」を持った、そんな立場の人でいてほしいのですが...
これは政治家だけの責任でもなく、日本の歴史的な背景からも端を発する「国民と政治」とのかかわりのリアリティのなさが国内にとても目に見えにくい形の大きな「アンフェア」と「さらなる国民の政治無関心」を生んで育ててしまって、結果「無機能の議会制民主主義」を作り出していると感じるのです
ホリエモンが言うとおり「セレモニー的要素が強すぎて、何事を決めるのにも激変の時代に合わないスローで無駄に儀式的な国会」は今のような経費をかけてまで維持する価値はないのでは、と思いませんか?
そしてせっかくAI化をもって制度を変えるのならば、実はもう一つ「民主主義」の本質にかかわる「アンフェア性」までを同時治療する最適のチャンスではないかと感じているのは多くの若いインテリゲンチヤたちの総意であり、この「スマホで朝生」のやり取りを観ていると「どうしてそんな簡単な概念すら持てない想像力の働かないオッサンばかりなのか」って文句を言われている気分がしてならないのです
少なくとも今から44〜5年前、かつての「田中角栄」氏、これはある意味本当に政治家らしいというか、自分が信じる国の形を実現するために、それをコミット(公言して約束)してブルドーザーのようにカネを集めて人にカネを撒(ま)き心を動かす、もちろん自分の後援者たちや地元には間違いなくカネもモノも引っぱってくる...こんな形が機能してメリハリつけてインフラを整備していった時代、それはそれでありだと思うのです
ただし、今どきの政治屋さんたちとの大きな違いは、角栄氏タイプの政治家は「政治は職業ではなく命をかけている」というその胆力のすごさだったと感じるのです、今の政治屋さんたちは同じようなことを行ってるようでいて実は「政治」にあたってこの部分が欠落した瞬間に、様々なことを鑑みると今の時代だと「勝手な主人公気取りで政治職に恋恋とする」方々を介せずA.I.による国会の方がマッチベター(ずっといい)ということになってしまうのだと思うのです
いかんせん時代が急激的に変わり、スケールにおいて日本が急速に縮む中、政治家をはじめ公費を使って存在している人々の立場は変化するのも当たり前だと思うのです、減り続けていく国民のお金を集めてそれを公のために使う中での「公正・公平」のあり方、そして「民主主義」のあり方とその効果的、効率的な使い方も変わっていくのも当たり前だとつくづく感じるのです
そんな事を感じている若者達に「まずは選挙に行く事が国民としての義務だ」の一辺倒で押してきた僕ちゃんらは一体なにをどうしたい、何が正しいというイメージなのでしょうか?まさに自問自答してしまうのです
さあ4大マスメディア時代を生きてきて「圧倒的遅れをとっている情報弱者」の僕ちゃんらはもう一度視点を変えて真剣に今の時代を直視し、社会活動の中でどんなことを一番大切にしていかなきゃを考えなおしてみる時がとうの昔に来ちゃってるということかもしれませんね?!