6月18日の鹿児島市内が大雨の日、堀江町(広馬場通り)の山形屋パーキング横で、今年も昭和20年終戦前の鹿児島大空襲で亡くなられた多くの御霊(みたま)に捧げる「広馬場通り戦災鎮魂慰霊の会」の恒例の式典が開催されました
当日はどしゃぶりの雨の中、多くの御来賓の皆様とそして近隣町内会(堀江町・大黒町・住吉町)の皆様が沢山お集まりいただき、黙とう、慰霊の会を代表してのお言葉、そして献花がなされて、その後今年は戦後70年の節目の年ということもあり、この広馬場通り戦災鎮魂慰霊の会の代表であられる「春成幸男さん」は多くの取材陣に囲まれておられました
今年の夏で90歳にならんという春成幸男氏は今でも完璧に頭脳明晰で、矍鑠(かくしゃく)としておられ、鹿児島出身の東京在住の政治経済人の集まりである「三州倶楽部」の代表を長くされておられたとは思えないほど細やかな事に気を配られる本当に優しく素晴らしい方なのです
雨の中の式典の後は、そのままマルヤガーデンズのBLOOMさんに移動しての懇親会となりました
このブログでも前にも書かせていただきましたが、春成さんは昭和20年6月17日夜中11時すぎからの鹿児島市内への集中的空襲により、堀江町の防空壕でご両親を含むご家族7人を一瞬のうちに亡くされ、たった一人でその7人のご遺体をリヤカーで海辺まで運ばれ、通夜を営みそのまま荼毘にふされ、その無念の思いを70年間胸に秘め続けてきた方です
しかも、その6月17日の夜は二十歳の大学生であった春成氏がいよいよ学徒出陣でこの世を去ることになるだろうということで一家が疎開をせずに鹿児島市内の堀江町のご自宅に集まっておられて、この惨事となった...ということをずーっと自分の責任だという思いで春成氏は「いつか鹿児島に帰って自分の力でお墓を作ってあげたい」と思い続け東京で経済人として大成功を収められたのでした
毎年々、この「広馬場通り戦災鎮魂慰霊の会」も戦争体験を持つご高齢の会員さんが亡くなられたり、健康の関係で出て来られなくなられたりするのです
そしてそんな、「壮絶というにも言葉がたりない」人生を送ってこられた春成氏が、いつもいつも言われる言葉...「命は本当に尊く大切なものです」という一言
だれのどんな綺麗事より説得力のある「言霊(ことだま)」をそばにいて聴かせていただける...
この人生でこんな素敵な方と巡り合えた僕は誰よりも幸せ者で、恵まれていると感じつつ、人間の本能的行為でもある「戦争」で失われる人々の命の尊さや、絆の尊さ、普通に暮らせる幸せの尊さ、そんなことを戦争を知らない人々で共有できるそんな場を維持し続ける使命があると勝手に感じるのです
そしてどんなことがあっても、命からがらに生き残って今の日本をつくってくださった大先輩のみなさまの70年前の経験や思いを風化させたり、人が何の罪もない人を殺すことが正当化されたり正義になる日本にだけはなってはいけないと改めてそう思うのです
さあ、今年もそんな思いを新たにしつつ、もうすぐあれから70年目の熱い夏を迎える、そんな季節になりました