中尾成昭様と書かれたその封筒をあけると、そこにはマルヤガーデンズの柳田洋会長からの一枚の手紙と「祝還暦 鹿児島玉龍高等学校S48年卒 同窓会」と記された記念品が入っていました
これは昭和48年卒(僕ちゃんらは入れ替わりに入学しました)の時の玉龍高校の校舎です、木造で廊下を歩くとギシギシと音がし、冬は隙間風が吹きとても寒い...でもとっても風情があり美しく、愛着を感じる大好きな校舎でした
そしてこの柳田洋先輩の手紙を読みながら、不覚にも涙が止まらなくなってしまいました...
そこにはかつて柳田会長と同級生として玉龍高校に在籍しており、同級生の皆さんが2年生から3年生に上がる4月14日の日にこの世を去った兄「雅一」ちゃんのことが洋会長の言葉で書かれていたのでした
「記念品に印字されている字を見ながら『もし生きていたら雅一君も60歳か...』との想いがよぎりましたので、同窓会代表者である丸善商事の永田ゆきただ君に頼んで雅一君の分も頂きました。兄貴さんの代わりに時々使ってください。」と...
本当に嬉しいというか、有り難いというか、すでに43年前に亡くなった兄のことをこうして還暦の機会に思い出していただき、確かにあの時、あの時代を一緒に生きていたということを覚えていてくださる方々がこうしているということを知るだけで感激の涙が止まらなかったのです
僕ちゃんがどうしても玉龍高校に行きたい、行くべき高校はやっぱりここだ、と思ったのはこの当時の野球部(昭和46年の夏の大会)のベスト8の活躍、そしてスタンドやテレビ前で必死に母校を応援する皆さんの姿を見てしまったからなのです...(瀬田監督若っか!!)
これは現在の校舎です、僕ちゃんら昭和51年卒業の生徒は冒頭写真の旧校舎で1年生の途中まで過ごし、2年生になる前にその古い校舎はそのままの姿でこの校庭の右側はじっこに移設され、その中で授業を受け始めて、同時に新校舎工事が始まり2年途中から一番左側の校舎で授業を受けたのです、つまり今では一番古くなってしまったいちばん左側の校舎が出来てから2番目の卒業生でした
柳田洋会長、そして玉龍高校昭和48年卒の皆さん、還暦本当におめでとうございます、そしてなき兄といつまでもこうして同級生でいてくださることを心の底から嬉しく感謝申し上げます、本当にありがとうございます
そしてこんなに優しくて頼もしい先輩の皆々様が60歳還暦をお迎えになられたことを心からお喜び申し上げるとともに、まだまだお若くしてこれからもご活躍されますことを心から祈念してやみません!!
やはりこの学校を卒業し、素晴らしい同級生はもとよりこんな優しさに溢れる素敵な先輩たちを持てたことが、改めて嬉しくそしてなによりも誇らしく思うのです
ふと気がつくと明日からもう3月、この時期は僕らもみんなそうだったように一気に卒業・移動のシーズンとして友と別々の道に進んだり、同じ時間を共有してきた仲間達との別れのシーズンがまた今年も始まりますね、でもなんの駆け引きや上下もなく同じ学び舎で一緒に過ごした青春の日々は永遠なのだということを先輩から改めて教えていただいた気がしました
繰り返し心より感謝申し上げます
- 2015.02.28 Saturday
- モブログ
- 06:00
- comments(0)
- trackbacks(0)
- -
- -
- by なりブー