昨日26日の火曜日は鹿児島県下花キューピット会員花店の研修会の日ということで、この研修を眺めていてたまたま昔の花キューピットの関係行事の事を思い出したのでした
今から13年ちょっと前の1999年10月末に開催された「第22回日本文化デザイン会議 鹿児島」、当時の僕ちゃんにとっては事前はなんのイベントだかも知らずにその開催が近付くに連れてものすごい興味深くて豪華な日本を代表する文化人たちゲストの顔ぶれにワクワクしながらこの大イベントにボランティアとして関わった覚えがあるのです
この頃は黒川紀章さんもお元気でしたですね!! そしてこのロゴマークも懐かしいのです
そしてその際に僕ちゃんは経済同友会の窓口として大懇親会の担当責任者をやった覚えがあるのですが、そのリハーサルのときから僕自身が一番胸がときめいたアトラクションが当時まだメジャーにはなりきっていなかった「島唄」でした
日本文化デザイン会議の懇親会ステージでその生歌を聴かせてくれたのはまだ当時高校生だった「中孝介(あたりこうすけ)」さんと主婦となった今でも奄美を拠点に大活躍中の「中村瑞希(なかむらみずき)」さん、そして島唄の中でも情熱あふれるこの2人の「恋唄」の掛け合いを目の当たりにして心から感動したのでした
そして僕ちゃんは迷わずにその次の年の花キューピットの福岡での全国会員大会でのオープニングアトラクションでぜひともこの2人の「島唄」を全国の会員花店のみなさんに聴いていただきたいと思い推薦をさせていただいたのでした
マリンメッセ福岡で花キューピットの全国会員大会のオープニングステージを「島唄」で飾ってくれた中孝介さんと中村瑞希さん、瑞希さんは今でも全然変わらずお綺麗ですが、さすがにこの時、現役高校生の中(あたり)さん若っかいですよね!?
そしてその一年後2000年のミレニアムイヤーに福岡のマリンメッセで開催された花キューピットの全国会員大会、なぜだか僕ちゃんは福岡ではない鹿児島地区からその事務局長に就任し、結局2年間の準備期間で福岡を約40回訪問し61日間を福岡で過ごしたのでした
当時どれだけの日本人が島唄を認識していたか解りませんが、少なくともこのステージから13年後の現在、すでに島唄は世界からその存在を認められ確固たる地位をもつ芸能となった...
のかどうかは別として
島唄のスピリットは世間がどうであろうとも、そして何年が過ぎようとも琉球そして奄美などの琉球文化圏においては間違いなく生活の一部、必然のものとして未来永劫のこり続ける沖縄県そして鹿児島県の「宝物」であることは間違いないということなのです、つまりは無形のものでも本物はどんな時を経てもなくなりはしないということなのかもしれません
この中孝介さんのYouTubeの☛「花」の唄と震災前の福島の映像もとっても心に沁みますよ、改めて聴いてみてくださいね!!
- 2013.02.28 Thursday
- 音楽
- 00:17
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- by なりブー