28日の夜遅くに昔のバンド仲間で今東京都内で歯科医として頑張っている英作君から電話があり、これまた僕の玉龍高校のひとつ上のスポーツ万能だった福岡さんの娘さんがたった今鹿児島を訪れており、翌日29日(昨日)にどこかで歌を披露できる場所がないだろうかという相談を受けたのでした
彼女の名前は「福岡麻央(ふくおかまお)」さん、驚いたことにCDデビューまで果たしているけっこうメジャー一歩手前のシンガーソングライターだったのでした、前日は鹿児島中央駅のアミュプラザでライブをやって今九州一周ゲリラライブキャンペーンの途中だということなのでした
彼女の父上はもちろん玉龍高校のラグビー部の花形選手だったので僕の方はよく存じ上げていたのですが、実は彼女のお母様も僕の一つ歳上でいらして鹿児島女子高校3年に在学中に一つ下だった僕のバンドのコンサートを観てくださり、連絡をいただき、僕もご実家まで何度か遊びに行ったこともある「思いでの人」だったのでした
急きょマルヤガーデンズの青崎店長にお願いして、16時30分からと17時30分からの2回、7階のテラスでちゃんと音響器具まで準備していただき彼女のライブを挙行させていただいたのでした、結局それぞれのステージを2回とも僕も会場で聴かせていただいたのでしたが、このライブの前に知った「福岡麻央さん」のお母様の10年前の逝去というあまりにもショックな事実になんだか目の前で歌っているこの子がまるで生きていた頃のお母様「優子さん」とダブってなんだか悲しいというか、とても複雑なメランコリックな気持ちを止められないのでした...
曲はすべてオリジナルで素晴らしい歌唱力と表現力でした
最初のステージ前に麻央さんから「今日は神奈川から一緒に来たお姉ちゃんと亡くなったママの方の鹿児島のおばあちゃんも来るんです」と聞かされて、最初のステージが終わった後でそれらしき2人連れにお声をかけたのでした、「松村さんのお母様ですよね..僕の事、解りますか?中尾ですけど」と...
すると麻央さんのおばあちゃまが「わあぁ〜あ!あなたあの時のまからずやの中尾君?」とすぐ思い出していただいたのでした
僕が懐かしくて、涙がこぼれそうになっていると、おばあちゃまは満面の笑みで麻央さんに向かって「麻央ちゃんほらこの中尾さんはお母さんの初恋の人よ!」ととてつもなく僕が嬉しい紹介をしてくださったのでした、僕は「いえいえ、お母様は僕のあこがれの女性で当時、田上の実家に遊びに寄らせていただいて、おばあちゃまとも何回かお会いしてたんですよ」と真実の説明をさせていただいたのでした
一番左が麻央さんのお母さん(当時18歳)の優子さんと鹿児島女子高校の同級生のお友達
ふと気づくと福岡麻央さんは僕の最愛の息子たっくんと同じ学年で、同じように自分の選んだ夢に向かって一生懸命今一人で頑張っているのです、この日も自分で持ってきた音源を一生懸命自ら操作しながらそして自分でCD販売もしながらなりふり構わず頑張っていました...
たまたまうちがお花でお世話になっているパソラボの久保さんが通りかかってライブも聴いて下っており、「とっても素敵な歌で驚いて足が止まってしまいました..」と言ってくださりCDも買ってくださいました
ライブが終わっても本当に懐かしい気持ちでおばあちゃまとまだまだ話足りない気分でしたが、「これを機会に」とまたの必ずの再会をお約束してお別れしたのでした
僕が当時17歳の麻央ちゃんのお母様にあこがれていたあの頃からもう38年の時が過ぎてしまっているのです、そして麻央ちゃんと同様に笑顔がとても素敵だったあの優子さんはもうこの世にいないなんて僕にはまるで信じられないのです...
みなさんぜひ「福岡麻央さん」ユーチューブでもたーっくさんオリジナルソング聴けますので、応援してあげてくださいね!!
人生ってふと振り返ってみると後ろにはあっと驚くほどの「時」が積み重ねられているのです
- 2011.09.30 Friday
- 趣味のスポーツ
- 12:03
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- by なりブー