今回のスイスチューリッヒと北欧を駆け足でしたが、この旅でであった現地の人々、そして街を歩いて感じたこと、それは「日本は必ず再生できる」ということでした。やっぱりよその国をまねるのではなく、よそと比べて己を知るという作業は大切だと思うのです。
僕ごときが、といわれるかもしれませんが、条件はただ一つ「なにが僕ら日本人自身にとって大切なのか、そしてこの国を10年後にどんな国にしていたいのか」ということを若者たちを中心にしてじっくり考えてビジョンを創ることから始めるということです。
(Which Shall We Choose? Otherwise・・・)
多分発展途上の国は別にして西欧の先進諸国はやっぱり「国の形」がはっきりしているのです、鎖国ができるならいざ知らず、こんなにグローバリズムが進み、単に道徳心や秩序といったレベルのタガだけではとても他国との共生はできないのです。
今の酔っ払い大臣や失言と複数の舌を使い分けるごまかし言葉だけのハリボテ首相など絶対不必要です、それと各業界の既得権や利益代表のような議員も、政治家になるために政治家になったようなのも、当分は引っ込んでいていただかないといけないですね。
議員定数もとっと減らして、逆に研究費としての報酬は上げる、選挙に金がかかるのならばIT利用の選挙だっていいじゃないですか、その代り投票が政治家の人気投票にならないように、中身カラッポのバカな候補者はバカヅラをさらしてしまうようにライブでディベートショーをやればいい、多分参議院も要らないんじゃないですか、そして法律は人が創るものであって、人を縛るものではないということを知らなければなりませんよね。
国も市町村も出来る限り小さい政府を作り、行政で働く人は働いた分だけ、もっと言うなら頭を使い、給与に見合う責任を背負いながら成功報酬としての給与体系を早く作り上げる。そして行政監査は怠慢の場合大きなペナルティと裏腹の誇りある名誉職とする。
よく僕らの周りの行政で働く方々の中でも聞く話で、みな役所に入ったときには目がキラキラやる気と希望に燃えているのに、役職が上になるほど頭(こうべ)をたれはじめ、どんどん保守的になって面白くない人間になってしまうパターンが多いと。
つまり失敗をするぐらいだったら、チャレンジしたり余計な仕事を抱え込まないほうがいいと考える人間が出世をしていくような役所は解体してしまった方がいいと思います。やる気があったりチャレンジ精神がある役人がどんどん育っていくような評価システムにするべきだということです。
天下りや渡りなんて、人のフンドシで金をせしめようなんてもってのほか、とっとと全廃です、ちなみに役人の経験ってなんですか?お金などの実態責任を背負わずにやってきた経験は経験とは言いません。
要するに不公平感を取り除き、民間人も行政マンも同じような形の責任を背負って大変な時でも順調な時でも、すべてのシチズン(市民)が一緒に頑張っているという形を作ることが急務なのです。お金を生まない業種をどうやって評価するのか分からない、なんていう人も最初っから出来ない理由を探すのだけが得意なしょうもない人種です。
もちろん日本の防衛も真っ向から議論をすべきです、答えは出なくとも、今のように国民が自衛隊という戦力を国にどう位置付けるのかだって、実際に極東の有事のときにはどう立ち振る舞うのか、政治的な決断や議論を先延ばしにしていることで、国防に関わる現場の人々が一番納得できないしモチベーションも下がります。国民が「無関心」という事態が最悪だと思うのです、賛否あっても構わないから逃げずに議論すべきです。
とにかく「日本国ビジョン」が出来たなら、勇気を持ってチャレンジし間違いながらでも良く変えていけばいいですよね、首長や首相にしても一人の賢者を期待するのでなく、複数の知恵を集めて文殊の知恵チームで各自が得意分野の能力を活かしながら政治を行えばいいですよね。
アメリカ金融経済追従はもとより、こんな狭い国でひたすらガソリンを燃やし続けたり、食料自給率が40%なのに毎年300万トン以上の食料を捨てていたり、国民から集めたお金が各所で垂れ流しや何の生産性もなく消化されたり、でもだれも見ないふりをしていたり・・・こんな社会にサスティナビリティ(持続可能性)があるはずはないとみんなうすうす感じていたはずですよね。
鹿児島の人々は形式やメンツにこだわらない、だからこそ物事の本質を掴み、信念を持ってやり通せるのだと思います。たとえば僕の大好きな大久保利通のように・・・どうですか、鹿児島から次の日本国の形を創ってみるというのは、でもやるならとっととやるべきですよね!
僕ごときが、といわれるかもしれませんが、条件はただ一つ「なにが僕ら日本人自身にとって大切なのか、そしてこの国を10年後にどんな国にしていたいのか」ということを若者たちを中心にしてじっくり考えてビジョンを創ることから始めるということです。
(Which Shall We Choose? Otherwise・・・)
多分発展途上の国は別にして西欧の先進諸国はやっぱり「国の形」がはっきりしているのです、鎖国ができるならいざ知らず、こんなにグローバリズムが進み、単に道徳心や秩序といったレベルのタガだけではとても他国との共生はできないのです。
今の酔っ払い大臣や失言と複数の舌を使い分けるごまかし言葉だけのハリボテ首相など絶対不必要です、それと各業界の既得権や利益代表のような議員も、政治家になるために政治家になったようなのも、当分は引っ込んでいていただかないといけないですね。
議員定数もとっと減らして、逆に研究費としての報酬は上げる、選挙に金がかかるのならばIT利用の選挙だっていいじゃないですか、その代り投票が政治家の人気投票にならないように、中身カラッポのバカな候補者はバカヅラをさらしてしまうようにライブでディベートショーをやればいい、多分参議院も要らないんじゃないですか、そして法律は人が創るものであって、人を縛るものではないということを知らなければなりませんよね。
国も市町村も出来る限り小さい政府を作り、行政で働く人は働いた分だけ、もっと言うなら頭を使い、給与に見合う責任を背負いながら成功報酬としての給与体系を早く作り上げる。そして行政監査は怠慢の場合大きなペナルティと裏腹の誇りある名誉職とする。
よく僕らの周りの行政で働く方々の中でも聞く話で、みな役所に入ったときには目がキラキラやる気と希望に燃えているのに、役職が上になるほど頭(こうべ)をたれはじめ、どんどん保守的になって面白くない人間になってしまうパターンが多いと。
つまり失敗をするぐらいだったら、チャレンジしたり余計な仕事を抱え込まないほうがいいと考える人間が出世をしていくような役所は解体してしまった方がいいと思います。やる気があったりチャレンジ精神がある役人がどんどん育っていくような評価システムにするべきだということです。
天下りや渡りなんて、人のフンドシで金をせしめようなんてもってのほか、とっとと全廃です、ちなみに役人の経験ってなんですか?お金などの実態責任を背負わずにやってきた経験は経験とは言いません。
要するに不公平感を取り除き、民間人も行政マンも同じような形の責任を背負って大変な時でも順調な時でも、すべてのシチズン(市民)が一緒に頑張っているという形を作ることが急務なのです。お金を生まない業種をどうやって評価するのか分からない、なんていう人も最初っから出来ない理由を探すのだけが得意なしょうもない人種です。
もちろん日本の防衛も真っ向から議論をすべきです、答えは出なくとも、今のように国民が自衛隊という戦力を国にどう位置付けるのかだって、実際に極東の有事のときにはどう立ち振る舞うのか、政治的な決断や議論を先延ばしにしていることで、国防に関わる現場の人々が一番納得できないしモチベーションも下がります。国民が「無関心」という事態が最悪だと思うのです、賛否あっても構わないから逃げずに議論すべきです。
とにかく「日本国ビジョン」が出来たなら、勇気を持ってチャレンジし間違いながらでも良く変えていけばいいですよね、首長や首相にしても一人の賢者を期待するのでなく、複数の知恵を集めて文殊の知恵チームで各自が得意分野の能力を活かしながら政治を行えばいいですよね。
アメリカ金融経済追従はもとより、こんな狭い国でひたすらガソリンを燃やし続けたり、食料自給率が40%なのに毎年300万トン以上の食料を捨てていたり、国民から集めたお金が各所で垂れ流しや何の生産性もなく消化されたり、でもだれも見ないふりをしていたり・・・こんな社会にサスティナビリティ(持続可能性)があるはずはないとみんなうすうす感じていたはずですよね。
鹿児島の人々は形式やメンツにこだわらない、だからこそ物事の本質を掴み、信念を持ってやり通せるのだと思います。たとえば僕の大好きな大久保利通のように・・・どうですか、鹿児島から次の日本国の形を創ってみるというのは、でもやるならとっととやるべきですよね!
- 2009.02.28 Saturday
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- 06:19
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- by なりブー