アメリカと北朝鮮の間が大変な事になっているようですが、そんなおりに迎える今日の日本の終戦記念日
とっても鈍感な僕がこのたったの15〜6年ほどの間ですが、心から尊敬し敬愛申し上げる「春成幸男」さんと知り合いその春成さんから、その背中で教えていただいていること、それはあまりにも想像を絶しており言葉でだれかに伝えるにはあまりにも重たく大きすぎるのですが...
「未来に残す戦争の記憶 県全域が標的になった〜鹿児島空襲〜」☜この動画で大戦体験者のお話を聞くと、鹿児島市内が終戦前にアメリカ軍が行った爆撃で鹿児島市内の地上がどんな断末魔の風景だったかがよーく理解出来るのです
そしてそんな言葉にするのも恐ろしくてトラウマになっている状況をこうして語るみなさまに共通しているのが、けっして大げさでもなく淡々と達観されてそのままを語られているということなのです
例えば戦争体験で焼夷弾(ナパーム)から逃げ回って九死に一生を得られた方々の体験で皆さんがおっしゃるのが「道の上を火が走る」という表現...数人の方々から僕らがまったく見た事もない地獄をそれぞれの言葉で語られたときにはじめて、そんな事が起きたのだとイメージできたのでした
つまりは人間の経験は言葉や感覚的にもその表現やキャパシティを超えた経験は思い出したくもないし、めったなことでは言葉にもしたくないという思いがあるように思えてしょうがないのです
戦争体験者のみなさまからすると「言葉」で表現してもその悲惨さ、驚がく、失望は決して伝わらないでしょう...と感じるのだと思えてならないのです
実際、鹿児島市内はじめ日本中の街はすべて焼き尽くされ、まさに道ばたや川には人の死体が山となり、これを表現したのが「死屍累々(ししるいるい)」という表現ですよね
春成さんがいつも言われる事は「人の命は尊い」という一言なのです...いつも春成さんの言葉だからこそものすごい重みを感じてしまうのです
人間の歴史はいつも違うものたちとの戦いと小競り合いの歴史と言えるのかもしれませんが、「命は尊い」という言葉はすごい戦争がいいとか悪いとかを超えて、普遍的なことかもしれませんよね
どんな人にも愛し、愛される家族や親族がいて、そして生まれてくるべき命を奪う権利はだれにもないということです
日本の終戦記念日、それはアメリカにとっては勝利記念日でもある、そしてそれから92年経った今はそんな記憶を言葉としてでも伝えられる人々はどんどんいなくなってきている、そうして人それぞれの「命の尊さ」をいとも簡単に置き去りにしてしまう
この日は必ずそんなことを一瞬でも思い返して、一言でも話してみたりするそんな貴重な日でもあるのだと思うのです
どうです、たまには知ったような口をきくでしょう?! でもこんな事をちゃんと口にするのが平和のバトンリレーにおける僕らの世代の役割だと確信するからなのです
- 2017.08.15 Tuesday
- 社会・政治
- 14:34
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- by なりブー