また今年も鹿児島市内にとっても忘れられない、忘れてはならない6月18日が巡ってきました
今から72年前、もう終戦が近かった昭和20年の6月17日の夜...
23時過ぎから鹿児島市街地上空に現れた百数十機のボーイングB29爆撃機、そしてそれから投下された13万発ともいわれるまるで雨のような焼夷弾(ナパーム)が鹿児島市内中心部を火の海とし18日未明迄に焼き尽くしたのでした
今から72年前6月17日の鹿児島市街地へのこの大空襲の中でも集中的に爆撃されて多くの方々が無念のうちに、この広場場通りでその命を終えた多くの御霊(みたま)にその慰霊の誠を捧げ、魂の安らかならんことを願い、春成幸男さまが自費でこの地に建立された慰霊の碑
この場所で毎年6月18日に慰霊祭を行い、その戦争犠牲者のご家族や、今のこの地の在住の皆さまと一緒になおらい会を行うようになってすでに13年が過ぎました、そして戦争体験者として13年前の第1回目から毎回このなおらい会にご出席いただいた方々も毎年数名ずつご逝去されています
この会を開催させていただいて、自分なりに痛切に感じたこと...「戦争体験を語り継ぐべき」と戦争「未」体験者たちがいくら訴えても、当時を経験された方々にとっては、実は思い出したくもない悲痛な「トラウマ」でそんなに単純で簡単なことではないということです
でももう一つわかったこと...それはそんなトラウマを抱えていた皆さんが唯一「語る」気持ちになれるのが、同じ悲痛な体験をされた人々と一緒な集まり、それを共有する場、そんな場だけがそんな場に成り得たんだなぁということでした
つまりそんな語れる場は刻一刻となくなりつつあるということですよね?!
もう戦後すでに72年が過ぎて、愛する家族7人を一夜一瞬にして失った20歳だった青年も92歳となられました
春成幸男さん、もし僕自身がこの方と同じ体験をしていたならば絶対に人生をあきらめ失望のどん底から絶対に這い上がれなかったと確信するのです
でも春成さんとこの人生で知り合うことができて、この方の言葉を聞ける機会を頂けたことは僕の人生においては間違いなく宝だと断言できるし、逆にいつも生きる勇気を頂いているのです
すべてを達観されたとすら感じてしまう春成さんがいつも語られる「人の命は尊いのです」というこの言葉、僕のようなものにもものすごい言霊として体の芯に響き続けているし、この慰霊の会で出会えた方々の貴重な体験談も、どんな時代が来ようとも絶対に戦争は肯定できないという当たり前のことを、この6月18日の慰霊祭は毎回強く再確認させてくれます
この6月18日が来ると72年前のその時と変わらず同じように、また灼熱の夏がすぐやってくるのです
広場場通りでの最後の戦争体験者が1人もいなくなられる時代が来ても、生涯にこの春成さんとのご縁を頂いたことを心から感謝しながら自分が生きている限り、永遠の平和を胸に誓いつつこの「広場場通り戦災鎮魂慰霊の会」はライフワークとしてどんな形でも続けていきたいと心に誓うのです
- 2017.06.24 Saturday
- 社会・政治
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- by なりブー